私の生涯は障害を越えるための挑戦が常です。幼いときからそういう現実と共に暮らしています。デユシエンヌ型筋ジストロフィー障害者であり、呼吸補助機を一日中使わなければならないことは一人の生活をすごく制限します。病気を抱えながらも私はほとんど普通の生活を送っています。勉強も出来たし、義務教育、高校教育、大学受験目指しての塾、国際関係学科の大学、英語講座、それらを全て終了し、公的職業試験にも二箇所、一箇所は高校卒者対象で、もう一箇所は大学卒者対象の試験にも受かり、日本語も少し学べたし、インターネットを通じて特殊な講座も受けたし、大学で得た知識を生かして個人ブログも作成したし、政治家達とも知り合いになれたし、日系社会にも参加し、決断及び評価力も養い社会に貢献できるし、割と良い付き合いも出来てるし、そしてとうとう一つの職業に就くことも出来ました。ここまでたどりつくには私も献身的に気力を持って、前向きな考えでやってきましたし、母あやかがいつ何時でも差し出してくれる大きな支えや、家族や友人たちの支えや、新技術の出現や幸運にも恵まれました。その間、寒さとも暑さとも直面し、障害者の限られた生活に適応することを余儀なくさされ、毎朝早起きして、他人の好意に頼り、自分の健康状態に頼り、不十分な社会的基盤に直面し、不十分な交通機関に苦しみ、何人もの偏見とも付き合いして、沢山の人々の不可解な心を理解し、悪意を持った人と共存し、そして誠実性のない人達がもたらした挑発を乗り越えてきました。そういった苦難を何人かに支えられながら全ての障害を乗り越えることが出来て、普通の人たちが権利として持っている基礎的な状況を私も得ることが出来、生きることが出来ました、まるで人生の階段のように。末釜ひでみアンドレー.
Tradução de Oscar Sakuraba
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